再び大学日本一をもたらす
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 18:33 UTC 版)
「上田昭夫」の記事における「再び大学日本一をもたらす」の解説
上田が監督を退いた後、慶大は対抗戦での成績不振が長引き、大学選手権にすら出場できない、どん底の状態が続いた。こうした惨状を受け、1994年、再び慶大監督に復帰。同時に、慶應義塾蹴球部総監督にも就任。小学校(幼稚舎)・中学校(中等部・普通部)・高等学校・大学の一貫した強化のため、マネジメントを担った。その一方で、上田は、他の強豪校に対抗するため、高校日本代表選手をはじめとする、全国の有力高校生に自ら手紙を書いて勧誘に当たった。その結果、上田が監督就任5年目以降は、熊谷良、高田晋作、和田康二といった、付属以外の高校出身者が主将となってチームを牽引。一方で、野澤武史らの付属出身者も彼らをうまくサポートした。 熊谷が主将を務めた1998年度、慶大は日本一となった1985年度以来、13年ぶりとなる大学選手権出場を決め、準決勝に進出。その後、慶大は2018年度まで大学選手権出場が続いた。続いて、高田が主将を務めた1999年度において、15年ぶりとなる対抗戦優勝を果たした。続く大学選手権では法政、日本、同志社を破り、決勝では2連覇中の関東学院大学と対戦。27-7で快勝し、日本一を果たした1985年度以来、14年ぶり3度目の大学日本一を創部100周年の節目に果たした。和田が主将を務めた2000年度は対抗戦で連覇を達成したが、大学選手権では準決勝で敗退。野澤が主将を務めた2001年度も大学選手権では準決勝で敗退し、このシーズンをもって監督を退任した。 晩年はフジテレビ在籍のままで、慶大マネジメントアドバイザーを務める他、tvk(テレビ神奈川)のラグビー解説者、FM放送の解説者として出演したほか、2009年には、日本で開かれたU20世界ラグビー選手権のトーナメントアンバサダーに就任、今大会のホストブロードキャスターであるJ SPORTSで解説も務めた。 生前は慶應義塾に対して非常に強い愛校心を持っていた。 2015年7月23日に逝去。62歳没。以前からアミロイドーシスの治療を行っていた。
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