兵事区の設立
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1939年(昭和14年)、陸軍兵事部令が制定され、朝鮮と台湾にそれぞれ兵事区が設けられた。法令の名称にもある通り兵事区の官衙は兵事部で、長は兵事部長。所掌事務はおおむね連隊区司令部と同様であったが、住民が兵役の対象にならない植民地では、内地に本籍を持ちつつ植民地に居住する人が対象であった。朝鮮は羅南・京城・平壌・大邱など6兵事区に、台湾は台北・台南の2兵事区に分かれた。 1940年(昭和15年)8月1日から、師管の名称を改め、それまで師団番号と同じ番号であったのをやめて所在値の地名からとった。1941年(昭和16年)11月1日、陸軍管区表(昭和16年軍令陸第20号)により、管区範囲が改められ、北海道を除き1府県1連隊区となった。兵事事務の複雑化から陸軍兵務部令(昭和16年勅令第790号)を制定し、軍・師団司令部に兵務部を設けた。兵務部は召募・在郷軍人・国防思想の普及・学校教練・軍人援護・職業補導を所掌し、連隊区司令官及び兵事部長に指示を与え査察を行った。また、満州に於ける在留邦人の増加とそれに伴う徴兵事務体制として関東軍管区を設け、管区内を兵事区に分けた。兵事区は新京・奉天・大連・哈爾賓・牡丹江・斉斉哈爾・錦州に設けた。
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