公然性と非暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 06:34 UTC 版)
市民的不服従の支えとなるのは、集団への同調や権威への服従を絶対視しない信念であり、その具体的な中身は宗教上の信仰である場合と、個人主義的・自由主義的な思想である場合とがある。宗教的な動機でも、非宗教的な動機でも、市民的不服従においては良心や道徳が重要な要素で、他の行動との区別のポイントになる公然性や非暴力もここに関わっている。 市民的不服従の特徴の一つは、逃げも隠れもせず逮捕され、処罰されることにある。違反から利益を得ようとはせず、むしろ進んで不利益を受ける。このため、本当は利己的な動機からしたことで、主張は後から付けた言い訳だろうというような勘ぐり・非難は封じられる。公然と行う良心的兵役拒否が違法な不服従であっても一定の共感を得るのに対し、究極的な動機が同じでも隠れて行う徴兵忌避は厳しい非難を浴びるだけとなるのが通例である。 また、市民的不服従を実践する人は、自分から暴力を振るわず、官憲やそれに同調する人々によって暴力を振るわれたときにも暴力で応戦することがない。不服従の人が非暴力を貫くかぎり、不必要な暴力をふるう加害者は、明白な悪である。受難と引き替えに、市民的不服従は高いレベルの道徳的迫力を持つ。そうして加害者が態度を改めること、中立的な人々の支持を取り付けることを期待する。
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