公炳禹と金東勲の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:42 UTC 版)
「ハングルタイプライター」の記事における「公炳禹と金東勲の登場」の解説
ハングルを印字するための専用のタイプライターが考案されるのは、第二次世界大戦以後である。1949年、朝鮮発明奨励会は、横書きのハングルタイプライターの発明案を公募した。1等受賞者はいなかったが、2等を受賞したうちの一人が公炳禹(朝鮮語版)(コン・ビョンウ/공병우)、3等を受賞したうちの一人が金東勲(キム・ドンフン/김동훈)であった(2等賞を3名が、3等賞を2名が受賞した)。公炳禹は眼科医師であったが、口述筆記させた原稿を確認することのわずらわしさからタイプライターの発明に向かった人物であり、打鍵速度に優れた公炳禹式(3ボル式)を開発した。公炳禹は特許を取り、試作品を世に出した。 1949年の段階ではハングル専用政策は実施前であり、漢字が扱えないハングルタイプライターの普及は進まなかった。公炳禹式タイプライターで印字されたハングルの字体は矩形に収まらずでこぼこした形になることも、普及が速やかに進まない背景にはあった。美観の問題に加え、字母を加えて改竄される懸念もあったためである。
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