八日市場支店時代
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「ジェイアールバス関東東関東支店」の記事における「八日市場支店時代」の解説
前身の八日市場支店は、成田鉄道の多古線が金属供出により休止となったことから、代行輸送を担うべく1944年に設置された八日市場自動車区に始まる。多古町にも、旧多古駅前に車庫や営業センターを設置していた時代がある。 一般路線のメインルートである多古線は、もともとは「鉄道線の代行」という使命があったが、成田近郊の利用は多いものの、八日市場寄りの区間は運行本数も少なくなっていった。このため、JR化の時点では成田寄りに位置する多古支所のほうが所属台数が多く、八日市場営業所(当時)の本所は、敷地は広いものの数台しか配置されていない状態であった。 しかし、1989年の高速バス「かしま号」運行開始により状況は一変する。JRバス関東では八日市場営業所が運行を担当(のち東京営業支店(現:東京支店)・土浦支店・水戸支店も運行を担当)するようになったが、「かしま号」は大変な盛況で、需要に供給が追いつかない状態となった。 新車導入だけではなく、予備車になっていた経年車などを急遽投入、臨時便・続行便を多数設定してさばくことになったが、特に鹿島地区からの乗客が多く、「かしま号」の増便が進むにつれ、当支店への高速車の所属台数も増加していった。これにより、八日市場営業所は高速バス主体の営業所へ変貌を遂げ、逆に一般路線の比率が小さくなったことから、後に多古支所は廃止となった。 一時期、東京支店のボルボ・アステローぺや二階建てバスを夜行便の間合いではさき号や八日市場線で使用していたことがあった。 かしま号は回送距離が長いことから、鹿島神宮駅近くの高架下に鹿嶋基地を設けていた。これが2006年6月に昇格したのが鹿嶋営業所である。2018年10月からは鹿嶋支店に昇格。
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