入江俊郎内閣法制局次長とは? わかりやすく解説

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入江俊郎内閣法制局次長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)

GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「入江俊郎内閣法制局次長」の解説

入江は、初代法制局次長としてこの日の閣議陪席した。従前閣外から閣議陪席できるのは、内閣書記官長法制局長官のみが原則であったが、戦後内閣副書官長法制局次長陪席認められた。入江当時の様子をこう回想する。 昭和21年2月19日火曜日定例閣議劈頭にあたって松本国務大臣憲法改正に関して発言求め、ここに驚くべき報告行いました。(略)彼ら〔ホイットニーら〕のいうには「松本案司令部としてアプルーブできないそれゆえ交付するこの案を重要な参考として立案してほしい。この案は司令部立案しマッカーサー承認したのであると言ってマッカーサーよりの憲法改正案交付があったのであります。そして彼らはつけ加えて「この案は決し日本側に強制するものではないが、これを日本側が承認できるかどうか、来る20日までに返事をせられたい」ということであった、と述べ、ここで先方の案の大要を、口頭紹介されたのであります。(略)そして若しこの案を日本側が拒否するなら、エムペラーのパーソンについても重大な変更をしなければならなくなるのではないか述べた。(註、この「エムペラーのパーソン」といったホイットニー言葉は、強く松本氏の胸を打って、あとまでも忘れがたく、ひどく印象的であった松本氏は入江にも語り、また他の場所でも言っておられた。)(以下略) — 昭和21年2月19日における松本国務大臣の重大発言より この入江口述は、東京大学占領体制研究会が、1954年6、7月の4回に渡り採録したものである。 この日の閣議では、GHQ草案受け入れ反対派賛成派の二派に分かれた反対派幣原首相三土忠造内相岩田宙造法相賛成派芦田厚相副島千八農相などであった松本がこの日閣議報告するまで、GHQ草案手交それ以降事情知っていたのは、幣原吉田だけで、他の閣僚達は知らされていなかった。閣議結果2月20日迄という司令部への回答22日延期してもらうことにし、21日幣原首相マッカーサー会い話をすることになった。しかし、閣僚たちは不満だらけであった。それは、閣議決定されてもいないのに「いつの間に松本案そのまま内閣確定した意見如く進行してしまっているところへの不満の感情」と「このように驚くべき案が司令部から13日交付されたというなら、それこそ即刻閣僚に意見聞きその上で速かに司令部説明なり反駁なりをすべきであるのに、18日松本国務大臣だけで追加説明提出したことに非常に割切れないよう気分であった

※この「入江俊郎内閣法制局次長」の解説は、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の解説の一部です。
「入江俊郎内閣法制局次長」を含む「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事については、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の概要を参照ください。

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