入場者数の減少による閉園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 08:26 UTC 版)
「大川寺遊園」の記事における「入場者数の減少による閉園」の解説
しかし、1982年(昭和57年)4月にミラージュランド、1983年(昭和58年)7月に県民公園太閤山ランド、1984年(昭和59年)4月に富山市ファミリーパークが開園するなど、県内各所において大型娯楽施設が開業したことに加え、東京ディズニーランド等の県外大型テーマパークへの志向の高まりと共に、大川寺遊園の入場者数は徐々に減少していった。1992年(平成4年)に1億8千万円を投じて導入したファンタジーコースターも入場者の減少に歯止めをかけることはできず、1995年(平成7年)度の入場者数は約8万4千人にまで落ち込んだ。大川寺遊園の累積赤字は3億6千万円にまで膨れ上がり、1996年(平成8年)2月の富山地方鉄道の取締役会においてこの経営上の問題が提起され、同園の存廃問題は一挙に表面化することとなった。今後も入場者数の増加は見込めず、遊具等の老朽化に伴う修繕費が増加している状況に鑑み、富山地方鉄道はこれ以上大川寺遊園の経営を継続することは困難であると決断し、1996年(平成8年)5月31日に大山町へ同園の経営からの撤退を申し入れた。大山町は大川寺遊園の活用策を模索したものの、結局町単独において経営を行うことは難しいとの判断から1996年(平成8年)度内における閉園を決断した。こうして1997年(平成9年)3月31日をもって大川寺遊園株式会社は解散し、大川寺遊園は閉園したのだった。 大川寺遊園の閉園後、遊具は撤去され、かつて賑わった旧上滝町の人口は1万人を割り込もうとしている。再び公園として整備しようという声もあったが、大川寺遊園のあった土地を所有している曹洞宗大川寺においては信仰の場として静かな環境を守りたいという考えから積極的な整備を行っていない。閉園後は、大川寺遊園は心霊スポットとして知られるようになっており、富山県の心霊スポットの紹介動画でも紹介されている。
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