佐野常民 さの つねたみ
佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。藩医佐野常徴の養子となる。藩校弘道館を経て江戸、大阪、京都に遊学し、緒方洪庵のもとで学ぶ。その後、長崎海軍伝習所に入り、新しい技術を習得する。慶応3年(1867)パリ万博には藩代表として派遣され、明治5年(1872)にはウイーン万国博覧会副総裁となる。以後、大蔵卿、元老院議長、枢密顧問官などを歴任。25年(1892)には松方内閣の農商務相を短期間つとめた。西南戦争の際に傷病兵を敵味方分け隔てなく救済する必要性を感じ博愛社を設立した。博愛社は20年(1887)に日本赤十字社と名称を変更し、佐野は初代日本赤十字社社長となった。
キーワード | 政治家 |
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