佐竹家臣時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 17:23 UTC 版)
佐竹家臣時代歴代初代塩谷義綱 永禄2年(1559年)正月20日生 - 寛永8年(1631年)12月9日没 伯耆守 民部大輔 十二所城代 2代塩谷貞綱 慶長10年(1605年)2月15日生 - 万治3年(1660年)8月4日没 民部 十二所城代 3代塩谷重綱 寛永10年(1633年)3月19日生 - 元禄15年(1702年)6月12日没 民部 十二所城代 4代塩谷方綱 万治元年(1658年)2月17日生 - 正徳4年(1714年)3月13日没 民部 5代塩谷実綱 元禄5年(1692年)2月18日生 - 正徳4年(1714年)10月29日没 民部? 6代塩谷元綱 宝永4年(1707年)2月4日生 - 宝暦12年(1762年)5月16日没 民部 7代塩谷久綱 元文4年(1739年)5月21日生 - 寛政6年(1794年)10月2日没 伯耆 8代塩谷保綱 安永2年(1773年)正月4日生 - 天保5年(1834年)10月20日没 右膳 御相手番 9代塩谷紀綱 文化7年(1810年)正月14日生 - 安政元年(1854年)9月15日没 伯耆 家老 10代塩谷温綱 天保4年(1833年)正月6日生 - 明治42年(1909年)3月10日没 家老 秋田藩執政 秋田藩大参事 義綱は、改易となった後、慶長2年(1597年)正月2日より常陸国の佐竹義宣に仕え、慶長7年(1602年)に佐竹氏が出羽国に転封となると、これに従い、出羽国平鹿郡横手に移り十二所城代を務め、子孫は、佐竹氏の家老職などを務める。しかし、その最後の当主である温綱に子が無かったため、嫡流は明治時代に断絶する。
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