休養宣言引退とは? わかりやすく解説

休養宣言・引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 22:18 UTC 版)

有森裕子」の記事における「休養宣言・引退」の解説

1999年4月アトランタ五輪以来2年8カ月ぶりのマラソンとなったボストンマラソン出走練習過程転倒し、膝や顔を打撲するハプニング遭いながらも、自己記録8年ぶりに更新する2時間2639秒のゴールタイムをマークして3位入賞を果たす(6位には後の世記録保持者となる初マラソンキャサリン・ヌデレバケニア)がいる)。この記録有森マラソン自己ベスト記録となった。 翌2000年1月大阪国際女子マラソン出走シドニーオリンピック代表を目指した。体調万全でない中、レース序盤から先頭集団ハイペースに加わるも、15Km手前集団から脱落して結局9位に終わり五輪3大会連続出場はならなかった。翌2001年6月のゴールドコーストマラソンでは約6年ぶりのマラソン優勝果たしたが、ゴールタイムは2時間3540秒の平凡な記録に留まった。同年11月東京国際女子マラソンでは20km付近まで大集団引っ張って10位でゴールその後一旦休養宣言する2000年9月シドニー五輪本番有森TVゲスト解説者として出演、かつてリクルート所属時の後輩だった高橋尚子当時積水化学所属)の優勝見届けている。2004年8月アテネオリンピックでも、TVマラソン実況解説者として野口みずき優勝伝えた2006年5月翌年2月東京マラソン2007最後に競技生活から引退することを発表する。その東京マラソン女子の部では22km過ぎで転倒、膝や手を出血するアクシデント見舞われたが、2時間5245秒で5位と完走した優勝豊田自動織機新谷仁美、2時間31分1秒)。この東京マラソンでは走行中、自身のarimoと書かれた帽子スーパーニュース記者スタッフ向かって投げた。後に帽子視聴者プレゼントされた。 競技者として引退したが、それ以降もゲストランナーとしてはレースに出る意向である。

※この「休養宣言・引退」の解説は、「有森裕子」の解説の一部です。
「休養宣言・引退」を含む「有森裕子」の記事については、「有森裕子」の概要を参照ください。

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