休暇と勲章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/15 07:17 UTC 版)
「カール・ティンマーマン」の記事における「休暇と勲章」の解説
レマーゲン鉄橋の戦いの後、ティンマーマンは休暇の許可を得てフランス・パリへと向かった。そこで彼は星条旗新聞のレマーゲン鉄橋に関する記事を読み、初めて娘ゲイ・ダイアンが生まれ自分が父になっていた事を知ったのである。彼は国民的英雄として有名人になり、連合国の新聞記事ではレマーゲン鉄橋での勝利を指して「戦争における最も衝撃的な偉業の1つ」(one of the war's most electrifying feats)という表現がしばしば使われた。著名な従軍記者アーニー・パイルなどからも取材を受けている。 『オマハ・ワールドヘラルド』紙(Omaha World-Herald)では、橋での勝利をトランプゲームのブリッジと掛けて、「ネブラスカ州ウェストポイントからやってきた若き少尉は、歴史に残るブリッジのフィネスを見事に披露した。ティンマーマン少尉は彼が持っていた唯一のカード、すなわち荒削りの勇気でこれを成し遂げたのである」("[T]he young lieutenant from West Point, Nebraska, pulled off a bridge finesse that will go down in history. Lt. Timmermann led with the only card he had, raw courage.")と報じた。ティンマーマンは、この戦いがティンマーマン家の名誉を挽回したものと考えていた。 ティンマーマンとアレクサンダー・ドラビク(英語版)軍曹は橋の戦いに関連し、共に殊勲十字章を受章している。また、第9機甲師団B戦闘団(Combat Command B)は橋を確保した戦功から大統領殊勲部隊章(英語版) を受章している。 ティンマーマンの殊勲十字章勲記には、次のように記されている。 カール・H・ティンマーマン陸軍少尉は、1945年3月7日のレマーゲン鉄橋を巡る敵軍との戦いの折、第9装甲師団第27機甲歩兵大隊の一員として発揮した並外れの英雄的な勇気により、殊勲十字章を授与された。ティンマーマン少尉がこの勇敢な行いで示した個人の勇気と義務に対する熱心な献身は、合衆国軍の最高の伝統の好例であり、また、彼自身と第9装甲師団、そして合衆国陸軍の名声に反映されることだろう。
※この「休暇と勲章」の解説は、「カール・ティンマーマン」の解説の一部です。
「休暇と勲章」を含む「カール・ティンマーマン」の記事については、「カール・ティンマーマン」の概要を参照ください。
- 休暇と勲章のページへのリンク