仲原馬場とは? わかりやすく解説

仲原馬場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 16:34 UTC 版)

琉球競馬」の記事における「仲原馬場」の解説

今帰仁(なきじん)に仲原馬場(ナカバルババ)が残っている。別名マーウイという。(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯2641分16.1秒 東経12757分56.7秒 / 北緯26.687806度 東経127.965750度 / 26.687806; 127.965750 (今帰仁村仲原馬場))。「今帰仁村仲原馬場」(場所・国頭郡今帰仁村謝名189番地ほかに字越地含まれる)は1959年昭和34年6月1日に、沖縄県指定史跡となる。馬場標高20mの石灰岩台地上に立地している。なお、「仲原」は明治期までの地名である。一方、仲原馬場の起源定かでない競技場長さは250m、幅30mで、馬場周囲には高さ1mの土手囲われており、それが観客席となっている。土手には、戦前は馬を係留したリュウキュウマツ琉球松)の松並木残されている。大木リュウキュウマツは、琉球時代18世紀ごろ)に植林奨励した宰相蔡温にちなみ「蔡温」と呼ばれている。また、中央部石垣残り来賓席だったと伝わっている。 文化財であるため、台風により仲原馬場の「蔡温」が倒木した際には報道される2002年折れた琉球松は2本で樹齢250-60年、幹の太さが40cm-50cmほどで高さは約10mで、2本とも幹の中心空洞となっていた。ほかの倒木しそうなには支柱施し保全をしている。2010年や、2012年にも折れている。1957年昭和32年)のフェイ台風でも倒木した記録残っている。

※この「仲原馬場」の解説は、「琉球競馬」の解説の一部です。
「仲原馬場」を含む「琉球競馬」の記事については、「琉球競馬」の概要を参照ください。

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