仮釈放・結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:33 UTC 版)
「福山市独居老婦人殺害事件」の記事における「仮釈放・結婚」の解説
Nは服役中の態度が真面目で、姉の夫(義兄)が身元引受人になったため、1989年(平成元年)7月20日付で仮釈放を許され、岡山刑務所から出所した。出所後から約1か月間は更生保護施設(岡山県岡山市内)で過ごしたが、その間は知人の飲食店を数日間手伝っただけで定職には就かず、散財したり、パチンコをしたりするようになっていた。一方でこのころ、服役中に失効していた自動車運転免許を取り直すため試験場に通った際、女性と知り合い、結婚を前提に交際するようになった。 1989年8月20日ごろ、Nは突然家財道具をトラックに積んで福山市内の姉夫婦宅へ赴き、姉に頼んでアパートを探してもらった上で保証人になってもらったほか、義兄が経営する会社に配管工として就職した。間もなく交際女性との同居生活を始め、1990年(平成2年)4月に正式に交際女性と婚姻すると、同年11月には長女が誕生した。Nはしばらくの間、雑用を含めて真面目に勤務していたが、やがて身元引受人である姉に相談せず、自分の判断で仕事を進めたり、自動車を購入したりするようになったほか、1990年9月下旬には消費者金融業者から借入するようになったほか、仕事後・休日にパチンコ店へ通うようになり、次第にパチンコに熱中するようになった。やがてパチンコの負けを取り戻そうと、Nはさらに金をつぎ込むようになり、交際相手の女性(後の妻)・母親などからパチンコをやめるように注意されてもパチンコ漬けの生活を改めなかったため、妻子を持つ身にも拘らず、勤務先から支給される給料・アルバイトの収入だけでは生活費・遊興費などが足りない状態が続いていた。そのため、母に何度も金を無心したほか、生活費や妻が支払いのために保管していた光熱費まで取り上げてパチンコにつぎ込むようになったほか、パチンコ代や生活費・借金返済資金などに充てるため、さらに消費者金融から借入し、数百万円に上る借金を抱えた。母に頼んで100万円弱の借金を返済してもらった後も借入を続け、勤務先(義兄の会社)がいったんは「今は忙しいから、後日工事を行う」と断ったはずの工事を甥(義兄・姉の次男)とともに義兄に無断で受注し、その利益を甥と2人で折半したが、それが雇用主の義兄に発覚したため、1991年(平成3年)11月20日に会社を解雇された。
※この「仮釈放・結婚」の解説は、「福山市独居老婦人殺害事件」の解説の一部です。
「仮釈放・結婚」を含む「福山市独居老婦人殺害事件」の記事については、「福山市独居老婦人殺害事件」の概要を参照ください。
- 仮釈放結婚のページへのリンク