代示の諸様態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/14 04:41 UTC 版)
個体代示はさらに、離散的代示(suppositio discreta)、確定代示(suppositio determinata)、単に渾然一括的な代示(suppositio confusa tantum)、周延・分配的かつ一括渾然的な代示(suppositio confusa et distributiva)に分類される。1966年にT・K・スコットが、個体代示の下位分類の多様性は他の代示の多様性とは明らかに別の問題だから、個体代示の下位分類に関する中世の論争には独立した名前を付けるべきだと主張した。個体代示の下位分類の多様性を「代示の様態 modes of supposition」と呼ぼうと彼は提案している。 中世の論理学者たちは項辞が離散的に代示する場合、確定的に代示する場合、渾然一括的に代示する場合、周延・分配的かつ渾然一括的に代示する場合のそれぞれを決定するための精妙な一揃いの統語規則を提出した。だから例えば否定的な命題や全称的な命題の主辞は確定的に代示しているが、単称的な主張の主辞は離散的に代示しており、一方肯定的な命題は渾然一体的かつ確定的に代示しているということになる。リクマースドルフのアルベルトは項辞がどのタイプの個体代示を使っているかを決定する15の規則を提出した。さらに中世の論理学者たちは個体代示のタイプを決定する統語規則の詳細について論争するということはなかったようだ。こういった規則は全体と個々の物の間を遡ったり下ったりする諸理論と連結されていたために重要だったようだ。 「I want to buy a cup」という文は全称肯定命題であり、「cup」は賓述的な項辞である。さらにcupは一般的な項辞であり、多くの特定のcupを含む。そのため、「全体へと遡」れば、先の命題を「I want to buy this cup or I want to buy that cup, or I want to buy that other cup - and so on for all cups.」と言い換えることができる。全ての特定のcupの全称的論理和を考えれば、それは「I want to buy a cup.」という文における単純代示でcupという項辞の代理を務めることができるだろう。これが確定代示と呼ばれる。「I want to buy a cup」と言えばなんらかの確定されたcupのことを言っていることになるが、必ずしもどのcupであるかを話し手が既に知っているわけではない。同様に「Some cup isn't a table」と言う代わりに「This cup isn't a table, or that cup isn't a table or ...」と言うこともできる。 一方「No cup is a table」という文は「This cup isn't a table or that one isn't a table or ...」という意味ではなく「This cup isn't a table, AND that cup isn't a table, AND that other cup isn't a table, AND ...」という意味である。この場合は確定された特定のcupを言っているのではなく、「一括された(confusa)」全てのcupを、つまり全てのcupを「一括して」言っている。これは周延・分配的かつ一括渾然的な代示と呼ばれる。 「This cup is made of gold」という文の場合は特定の物の論理和や連結に遡ることはできない、というのは単に「This cup」が既に特定されたものだからである。この種の個体代示は離散的代示と呼ばれる。 しかし、全称肯定命題の賓辞は、実は以上のどれにも当てはまらない。「All coffee cups are cups」という文は「All coffee cups are this cup, or all coffee cups are that cup, or ...」という意味ではないし、まして「All coffee cups are this cup, and all coffee cups are that cup, and ...」という意味でもない。一方、世界中に一つのcoffee cupしかないようになってしまった場合には、「All coffee cups are that cup」という文が正しいことになる。そのため、「All coffee cups are that cup」ならば「All coffee cups are cups」であるという推論は妥当である。ここで全体や連結へと遡ることはできないが「全体から下っていくこと」は妥当である。これが「単に渾然一括的な代示」と呼ばれる。 以上は基本的に理論がどう働くかということであって、より困難な問題は実際は、理論が何によるのかということである。マイケル・ルークスのように、全体に遡ったり全体から下ったりする理論は量化詞に真理値を与えるためのものであると主張する批評家もいる。T・K・スコットは、本来的代示の理論は「あなたはどういう種類の物事について話しているのか?」という疑問に答えるために構築されたが個体代示の理論は「あなたはいくつの物について話しているのか」という疑問に答えるための物だったと主張してきた。ポール・スペードは、14世紀までは個体代示の様態の理論は全くもって何のための理論でもなかったと主張してきた。
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