代替案の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:06 UTC 版)
成田新幹線代替案のうち、先行したのはC案だった。分割民営化直後の1987年(昭和62年)5月に、運輸大臣石原慎太郎が「成田新幹線に使用を予定していた設備と用地を活用し、京成線とJR線を成田空港に乗り入れさせる上下分離方式案」を指示した。翌1988年に成田空港高速鉄道が設立され、清算事業団よりすでに完成していた成田新幹線の構造物の譲渡を受けた。既存路線との接続部分の工事などが行われ、第2旅客ターミナルが開業する前年の1991年(平成3年)に、成田線(空港支線)と京成本線(駒井野分岐点 - 成田空港駅間)の形で現実化した。 一方、B案は東京都心と成田空港の高速輸送計画として、京成成田空港線(成田高速鉄道アクセス株式会社)に受け継がれる形になっている。京成成田空港線は2010年(平成22年)7月17日に開業し、同時に160 km/hの高速運転が可能なAE形(2代)による「スカイライナー」の運行が開始された。 このほか、京成押上線押上駅 - 新東京駅(丸の内仲通り地下) - 京急本線泉岳寺駅を結ぶ都心直結線の構想もあり、実現すれば東京駅から成田空港までの所要時間は、成田新幹線で検討されていた所要時間と2分差となるが、こちらは具体化に至っていない。
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