京武者としてとは? わかりやすく解説

京武者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 10:18 UTC 版)

源仲綱」の記事における「京武者として」の解説

源頼光に始まる摂津源氏一門であり、代々大内守護内裏警護)の任にあったと云われる。久寿2年1155年)、守仁親王(後の二条天皇)が立太子されると蔵人補され東宮仕えた平治元年1159年)、父頼政平治の乱平清盛味方しその結果源義朝河内源氏源頼信系統)は没落するが、摂津源氏平氏政権下の中央留まることになった乱の後義朝三男であった源頼朝伊豆国蛭ヶ小島配流となったが、この時期に仲綱は伊豆守となっており、一説には流罪の身となった頼朝伊豆運んだのは、頼政配下摂津渡辺氏ともされる平氏政権下における仲綱の動向としては、仁安3年1168年)に伊豆守であった仲綱が国内不作によって朝廷献じる五節舞舞姫費用弁じることができない旨の請文現存しており、頼政・仲綱父子動向を知る数少ない史料となっている。そのほか大内守護の任にある仲綱は頼政とともに天皇法皇仕え諸行事に供奉しており、また父祖同様歌人としての活動知られ九条兼実貴顕主催する歌会歌合出席し、その詠歌が『千載和歌集』に6首入集している。 父の頼政家門の誉まれとして従三位公卿)に昇ることに望みをつなぎ続け70歳過ぎて家督を仲綱に譲らずにいた。その願い叶い治承2年1178年12月清盛推挙により頼政従三位叙され、翌治承3年1179年11月出家した頼政より家督譲られる

※この「京武者として」の解説は、「源仲綱」の解説の一部です。
「京武者として」を含む「源仲綱」の記事については、「源仲綱」の概要を参照ください。

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