互換性が低かった初代ラップトップ機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 09:21 UTC 版)
「PC-9801シリーズ」の記事における「互換性が低かった初代ラップトップ機」の解説
1986年に欧米で「King of Laptop」と絶賛されたラップトップ型PC/XT・AT互換機である東芝のT3100は、日本語対応を施された上でJ-3100シリーズとして日本市場へ投入された。この形態は、特に家賃が高く社員一人あたりのスペースが狭い日本のオフィスにおいて、各個人のデスクに設置するには都合が良いと見て販売された。同シリーズの出現は、新規市場の開拓であったが故に直接対抗する手段が存在せず、日本市場におけるパソコンのトップメーカーとしてデスクトップ機を主軸に据えた販売戦略を組み立てていた当時のNECに衝撃を与えた。 NECは急遽J-3100対抗機種の開発に乗り出すが、長い開発期間をかけて実現をみたJ-3100シリーズに対抗するのは容易ではなく、互換性を犠牲にして市場投入時期を優先した機種をまず投入、その後でデスクトップPC-9801との完全互換を実現したマシンを追加投入する、という2段構えの戦略を採った。 PC-98LT 1986年10月 詳細は#小型化を参照のこと。 最初に市場に投入されたPC-98LTはフルスペックのデスクトップ機互換ラップトップ98を求める市場の声にこたえうる製品ではなく、十分な成功を収めるには至らなかった。
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