事件前後の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:44 UTC 版)
事件当日、12月20日の11時10分頃に遠藤車は、取引先である富山県高岡市の工場を、積荷をすべて降ろした空荷の状態で出発した。往路と同じルートを辿って新潟県白根市で国道8号を外れ、新津市と五泉市を経由して国道49号に入った遠藤車は、阿賀野川に架かる麒麟橋を21時20分頃に通過している。その直後に差しかかった現場のクランクは、往路を含めても遠藤にとっては2度目の通過に過ぎなかったが、自動車教習所にあるようなその直角のカーブは遠藤に強い印象を与えたという。クランク付近で対向車線から大型バスがやって来るのを視認した遠藤は、トラックを左へ寄せて速度を落とした。この時、トラックがバスとすれ違った地点はタクシー会社の電飾看板があった付近である、と遠藤は後の取調べの段階から一貫して主張している。 バスとすれ違った遠藤車は、クランクを通過してさらに国道49号を進んだ。およそ30分後、遺体発見の報を受けて緊急配備検問を行っていた福島県警喜多方署西会津派出所前で、停車させられた遠藤車は2人の警官によって5、6分程度車体の点検を受けている。そして、この検問を通過した遠藤車は翌21日の深夜2時過ぎに、岩沼市へ帰還した。 休日を挟んで22日月曜日に遠藤が建材メーカーへ出社すると、ほどなく宮城県警岩沼署から2人の警官が会社へやって来て、トラックを見せるよう遠藤に要求した。この時、遠藤車は2人の警官と遠藤の同僚ら4、5人によって10分程度見分されたが、何の異状も発見されなかった。遠藤車に異状が認められなかったことは、この時会社に居合わせた遠藤の同僚全員が確認している。警官らは一度引き揚げたが、10時過ぎに再び会社へ現れ、トラックを新潟県警にも見分させるために岩沼署へ移動させるよう要求した。遠藤はこれを受け入れ、自らトラックを運転し11時過ぎに岩沼署へ乗りつけた。
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