主要な宗教への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 15:00 UTC 版)
「主要な宗教」もセクト指定されるべき基準を満たしていると考える人たちもいる。彼らはそう考える根拠として、カトリック神父の小児愛事件や、イスラム教やユダヤ教における盲目的信仰(狂信)を挙げる。また、「主要な宗教」自体はセクトではないが、その内部にセクトが存在している、と主張する人たちもいる。他方で、「主要な宗教」はセクトと同一視されるものではない、と考える人たちもいる。それらが社会に認められ、社会に溶け込んでいるというのがその理由である。言うなれば、その団体が存在する国の政府が、セクトか否かの決定の保証人となり、宗教団体によって管理されている場合を除き、セクトである可能性があるグループについての調査を禁じているのである。また、「主要な宗教」(とりわけカトリック教会が槍玉に挙げられている)が、セクトに対する不信感を利用し、正統派とされないグループをアウトサイダー化させたり、異端呼ばわりしようとしている、と考えている。セクト擁護者たちは、カトリック教会がそのために、反セクト運動の活動を利用しカトリックの思想や知識を「ADFI(家族と個人を守る会)」に教育している、とも考えている(Joël Labruyère(OMNIUM代表、サイエントロジーに近いとされている)。の「L'Etat inquisiteur」参照。) 著書 Dictionnaire de philosophie の中で、André Comte-Sponvilleはこう記している。 「セクトとは、別の人の教会である」 新聞 Charlie-Hebdo 2000年6月28日号の記事の中で、François Cavannaはこう記している。 「宗教とは、成功を収めたセクトである」
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