丹水会館の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/14 07:00 UTC 版)
1950年(昭和25年)9月猪名野神社東側屋敷内に演奏所を建設し、「伊丹」と「水野」から一字ずつ取って丹水会館と名付けた。1951年(昭和26年)4月杮落としとして宮城道雄の演奏会を開催し、国文学者岡田利兵衞に依頼して会館歌「伊丹賛歌」を作曲した。会館では週2回の講習会や伊丹市教育委員会主催の教養講座を行い、ギター・ヴァイオリン・ハーモニカ・箏・三味線・尺八等が指導された。宮城道雄の演奏会も何度か再開催され、盛況の余り隣の水菜畑が踏み潰され、弁償したこともあった。 1956年(昭和31年)宮城道雄が事故死すると、1957年(昭和32年)6月25日一回忌に当たり、会館内に邦楽器参考品展観所を設け、コレクションを展示した。これは日本初の楽器専門の恒常的展示施設とされる。 なお、丹水会館は1995年(平成7年)阪神大震災に被災して閉館となり、2007年(平成19年)柿衞文庫敷地内に会館歌碑が再設置された。
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