丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)
文化九~明治八(1812~1875)年。諱(いなみ)は秀房(ひでふさ)。薩摩国出水郡阿久根の出身。代々回漕問屋を営み、島津藩御用を勤め、苗字帯刀を許されていた。庄右衛門は九代目の当主。嘉永六(1853)年4月、広東繻子(かんとんしゅす)などを取り引きした江戸の問屋の密告により捕えられ、八丈島へ15年の刑で送られた。彼は『三宅島歴史年表』によれば「日和待(ひよりまち)滞在中甘藷焼酎法を教う」とあり、『八丈実記』に「米穀一粒ノ費(ついやし)ナク五ケ村二島コレヲ習フテ農作家作ニ大益ヲ得タ」とある。八丈島の大賀郷(おおかご)小字東里に住み、故郷より焼酎に適したゲンチ種のカンショと製造器具一式を取り寄せ、焼酎づくりを島民に教え、「さつまじい」として尊敬されたという。明治元年一二月赦免され阿久根に帰り亡くなったが、明治四二年八月、その徳をたたえた「島酒之(の)碑」が大賀郷護神山に建てられるにあたり庄右衛門の曾孫に当たる阿久根市長(当時)丹宗忠氏が八丈に招かれている。
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