中華人民共和国側の資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:24 UTC 版)
「チベット問題」の記事における「中華人民共和国側の資料」の解説
これに対し、中華人民共和国はチベットや西側政府の調査について否定しているが、地方ごとの個別事例として、兵士や一般民衆に対して相当規模の殺害を認知している。また、統治権を主張する中国の立場からすると、一連のチベット人による動乱は「反乱」であり、「虐殺」は反乱分子の「平定」とされる。 以下、中華人民共和国刊行の文献より。 カム地方における「反乱」と「鎮圧」 1956年末の第1次蜂起は1957末に「平定」に成功。反乱勢力10万人に人民解放軍6万を動員して「鎮圧」。20,000人殲滅、20,000人逮捕。同地域の1957年-58年の第2次蜂起については1958末に「平定」に成功。5,500人を「殲滅」。 「青海省」における「反乱」と「鎮圧」 1958年3月-8月、チベット人130,000人が参加する「反乱」、うち110,000人を「殲滅」して平定。「青海省」におけるチベット人・モンゴル人の遊牧民50,000人(総人口の10%)を逮捕し、逮捕者の84%、45,000人が誤認逮捕であった。拘留中に23,260人が死亡、誤って殺害されたものが173人。宗教・民族分子259人、民族幹部480人が死亡した。 中央チベットにおける「殲滅」 1959年3月から62年3月までに死亡・負傷・捕虜を含めて93,000人を殲滅、武器35,500丁、砲70門を鹵獲。 上記の各事件については後述。
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