中島利一郎の反論その2とは? わかりやすく解説

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中島利一郎の反論その2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)

義経=ジンギスカン説」の記事における「中島利一郎の反論その2」の解説

小谷部説それに対す反論チンギス・ハンに関するもの 成吉思汗はニロン族、すなわち日の国よりきた人として蒙古伝えられている。この「ニロン」とは「ニホン日本)」のことはないか。 ニロンはニホン訛りではなく蒙古語の「納㘓(口偏に闌)ナラン」、納(日、太陽)から訛ったのである中島 キャトは京都出身者の事を表しているのではないか? キャトはアボルガジイ氏曰く成吉思汗の姓は「キャン」で、蒙古語岩石直下する飛泉の意味で、「キャト」はその複数形である。中島 成吉思汗は別名を「クロー」と称した。これは「九郎判官ではないかまた、軍職の名は「タイショー」として現代に伝わる。蒙古古城跡では「城主クロー」と称していたという言い伝えがある。 小谷部は九郎義経官職九郎判官)に結び付けたがっているが、蒙古語「古兒罕グルハン」であり、「部落の長」である。発音は「グラン」に近い。中島 義経は「九つのふさのついた白い旗」を使ったと云われているように九をシンボル数として多用した源九郎義経判官シンボルとして「九」の数を挙げているがアイヌは「六」がシンボル数である。中島 成吉思汗の父「エスガイ」は「蝦夷海」から来ているのではないか 成吉思汗父の名は「エゾカイ」ではなく也速該」(エガイ)である。蝦夷は他民族エゾ呼ばないアイヌ語や奇鄰語では、Ainuといい、山丹語ではKuiである。蝦夷カイ)に近い。ニクブン語(ギリヤーク語)ではKugiである。 武将金烏諸(キンウチョ)の名が成吉思汗訛り 小谷部は「西利亜及沿海州蘇城」、「双城子義将軍の石碑」の二項設け日本武将金烏諸(キンウチョ)の名が成吉思汗訛りだとするが、山丹人黒龍江岸ばかりでなく、樺太南部にも住んでいるからアイヌから云えば樺太山丹は選ぶところではない。従って蘇城などに行くわけがない軍職の名は「タイショー」として現代に伝わる。 タイシャー(小谷部説は大将の意)は蒙古語では大石(タイシー)。親友の意味蒙古語アンダ(安答)はオロッコ語のAndaなどと同系である。 アイヌに関するもの オキクルミ義経表しサマユンクル弁慶のことである。 オキクルミ造化の意味アイヌ語の「クルミ」は日本男子で、「クルマツ」は日本婦人ことだから混乱して蝦夷渡ってきた和人英雄解する人が多くなった。永田方正従えばオキクルミはオオキリマイ、オキキリマイと云っていたのが訛ったのであるアイヌ説話のサマウンクルはオキクルミ先んじて死んでいるし、オキクルミ樺太アイヌから殺されている。サマウンクルが弁慶であるとすれば義経先んじて死んだことになるから小谷部氏の大陸渡航説はありえない中島

※この「中島利一郎の反論その2」の解説は、「義経=ジンギスカン説」の解説の一部です。
「中島利一郎の反論その2」を含む「義経=ジンギスカン説」の記事については、「義経=ジンギスカン説」の概要を参照ください。

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