世界情勢への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:41 UTC 版)
「2011年リビア内戦」の記事における「世界情勢への影響」の解説
ロシアは、かねてから国連をはじめとする国際社会が特定の国の騒乱状態に介入することは否定的であった。そのロシアがNATO軍の空爆を結果的に受け入れたのは、空爆が「人道目的」に限定されると判断したからで、オバマ大統領と個人的な信頼関係を結んでいたメドヴェージェフ大統領が譲歩をしたのである。 しかしNATOの軍事介入はロシア側の意図を超えた範囲で行われ、ついには政権崩壊、指導者の暗殺にまで達した。憲法の大統領再選規定に抵触したためにメドヴェージェフに大統領職を「貸していた」プーチン首相は欧米への不信感を強め、翌年の大統領復帰を待たずしてメドヴェージェフ大統領の持つ外交担当の職務を事実上凍結した。 リビア内戦終結により民主化闘争の中心地はシリアに移ったが、2012年に大統領職に復帰したプーチン首相の欧米に対する不信感に加え、シリアは中東一ロシアの軍事的利権が絡んだ国であったため、シリアに不利に働くような安保理決議にロシアが拒否権を行使する事例が多発し、シリアでの内戦が長引くこととなった。 また、内戦の終結はリビア政府軍に従軍していた周辺地域出身の傭兵や兵器の離散を招き、新たな紛争の一因ともなっている。マリ共和国では戦闘経験を積んだトゥアレグ兵が兵器を持って帰国しアザワド解放民族運動の母体となった。その後、2013年のアルジェリア人質事件の遠因にもなった。
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