不遇な高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:29 UTC 版)
本人は『Zガンダム』の主題歌で歌手デビューできたこと自体は喜んだが、同時に「当時の私は、王道のアイドルとは少し違う扱いでした」と回想している。森口によると「当時期待されていたアイドルは春にデビューすることが多かった」とのことで、期待された他のアイドルと違い彼女はデビューが8月でプロモーションの時期もズレていたとしている。 また、森口によると当時の芸能事務所やレコード会社には、『この子に(社運を)賭ける』というような一押しの歌手が一人いたとしている。しかし森口の場合、事務所には同期の松本典子、レコード会社の同期には中山美穂がいて、「私はどっちの会社でも“一番”じゃなかった」と回想している。 福岡の高校から転校した堀越高校の芸能コースでは、荻野目洋子、武田久美子、井森美幸と同じクラスに転入した。その後、仕事が忙しく学校を欠席することが多い荻野目たちに比べて、森口は仕事が少なすぎて皆勤賞になりかけるくらい毎日学校に通っていた。自分だけ学校にいるのが辛くなり、時には嘘の早退届を出して仕事に行くフリをするなど惨めな思いもしたという。 ただし、そんな状況でも当時は福岡に帰りたいと思ったことは一度もなく、後年「人前で歌いたい一心だったし、(レコードデビューはしたもののまだまだ知名度は低く)スタートラインにも立ててないと感じていた。とにかく“チャンスさえもらえたら”と思い続けていた」と回想している。
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