不況のハゲタカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 15:48 UTC 版)
「ベアー・スターンズ」の記事における「不況のハゲタカ」の解説
1923年、ジョセフ・ベア(Joseph Bear)とロバート・スターンズ(Robert Stearns)、ハロルド・メイヤー(Harold Mayer)の3人が、ベアー・スターンズを株式専門の証券会社として創立した。ニューディール政策をきっかけとして債券市場にも進出した。1933年、ソロモン・ブラザーズからサリム・ルイス(Salim L. Lewis)が引き抜かれ、ベアー・スターンズがつくったばかりの機関債取引部門を指揮することになった。1935年、証券取引委員会の立案した公益持株会社法(Public Utility Holding Company Act)が制定され、世界恐慌以前に投資信託でゴールドマンなどが編成していた巨大公社を解体していったが、再編成のため原所有者向けの新規証券が一挙に発行された。ベアー・スターンズは市場で有利に立ち回り、ぼろ儲けすることができた。1938年サリムがパートナーとなった。1940年代ベアー・スターンズは、鉄道会社同士のM&Aを利用した裁定取引でさらなる収益をあげた。 1955年にアムステルダム事業所を開設した(国際部門のはじめ)。同年サンフォード・ワイルが入社した。サリム会長がブロック取引を開拓していたころであった。1960-70年代にベアー・スターンズは州際事業へ進出した。銀行の信託部を真似て、富裕な個人客の資産を専用の財団で運用した。具体的には証券貸出(レポ取引)であって、自己資本の十分な空売り業者を選んでいた。1975年5月1日、証券法改正によってブロック取引の時代が終わった。同年ニューヨーク市が財政破綻の危機に陥った。ベアー・スターンズは同市発行の証券を1000万ドル保有していたが、しかし結果的には大きな収益をあげることができた。市に合理化圧力を加えることもできたし、急場に保有証券を空売りすることもできた。1976年に出身者が独立してコールバーグ・クラビス・ロバーツを創立した。1978年5月、サリム会長が死亡したので、アラン・グリーンバーグ(Alan C. Greenberg)が引き継いだ。
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