上永検校とは? わかりやすく解説

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八橋検校

(上永検校 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 15:15 UTC 版)

八橋検校(やつはし けんぎょう、慶長19年(1614年) - 貞享2年6月12日1685年7月13日))は、近世中期の日本で生きた人物である。江戸時代前期の音楽家であり、検校を務めた。出身は諸説あるが、山田松黒が安永8年(1779年)に記した『箏曲大意抄(そうきょくたいいしょう)』より陸奥国磐城(明治期の磐城国、現・福島県いわき市)が定説とされている。他に摂津国(現・大阪府北中部、ほか)とする説もある。名は磐城説で城談(じょうだん)、摂津説で城秀(じょうしゅう)。


  1. ^ 勾当(こうとう) :当道座に属した盲官(盲人の役職)の官位には、検校・別当・勾当・座頭があり、勾当は第3の位階。
  2. ^ a b 華麗なる八ッ橋”. コトログ京都 和菓子. 2020年10月23日閲覧。
  3. ^ a b タイラー・ロイヤル、天野紀代子、ネルソン・スティーヴン G.、阿部真弓「シンポジウム 『源氏物語』の魅力」『日本文学誌要』第77巻、法政大学国文学会、2008年3月、2-33頁、ISSN 02877872NAID 120005479123 


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