三国・両晋・五胡十六国時代
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「中国の仏教」の記事における「三国・両晋・五胡十六国時代」の解説
紀元3世紀頃より、サンスクリット仏典の漢訳が開始された。この時代は華北のみならず、江南地方でも支謙や康僧会によって訳経が始まり、それと同時に仏教が伝えられた。その一方で、中国人の出家者が見られるのはこの時代からである。記録に残る最初の出家者は、朱士行である。また、この時代の主流は、支遁(314年 - 366年)に代表される格義仏教であった。訳経僧の代表は、敦煌菩薩と呼ばれた竺法護である。 紀元4世紀頃から、西方から渡来した仏図澄(? - 348年)や鳩摩羅什(344年 - 413年)などの高僧が現われ、旧来の中国仏教を一変させるような転機を起こす。前者は後述の釈道安(314年 - 385年)の師であり、後者は、唐の玄奘訳の経典群に比較される程の数多くの漢訳仏典を後世に残している。 仏図澄の弟子である釈道安が出て、経録(経典目録)を作り、経典の解釈を一新し、僧制を制定したことで、格義仏教より脱却した中国仏教の流れが始まる。釈道安の弟子である廬山の慧遠(334年 - 416年)は、白蓮社を結成した。
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