三余塾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/15 06:13 UTC 版)
塾者は、孔子の門下十哲の四科を使い、徳行、言語、政治、文学の名をつけ部屋とした入門帳が作製され、筆頭に依田佐二平の名が残っている。塾の教育は、国史から入り、のちに人道を説く順番であり、武士と対等の人物育成のため、品性を陶冶し、礼儀と質素を重んじ、食事作法も厳しく指導した。また、姑息と怠惰を戒めるため、修学の心得、日々実行の心得を朝晩吟唱させていた。 塾の学科は、国史略、皇朝史略、日本外史、算術、作詞作文、習字で構成されていた。 入門料は、講師も取られたから礼としていただくが、以後は一門の謝礼も受けなかった。 生徒は男50名、女15名、教師は男6名であった。
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