三位房と同一人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「三位房と同一人物」の解説
日進は三位公とも称した為、日蓮の直弟の三位房と同一人物とも考えられたが、現在は別人とされる。三位房は比叡山に遊学し勉強に励んだ日蓮の弟子で桑ケ谷問答で知られる。建治3年(1277年)曹洞宗の僧・良観の庇護を得て桑ケ谷の房で説法を始めた天台宗の僧・竜象房がいた。三位房はこの竜象房との問答に勝利したが、強まる弾圧から退転し間もなく亡くなったとされる。「本化別頭仏祖統記」「元祖蓮公薩埵略伝」「日蓮聖人註画讃」に日進が竜象房と問答したと混同した説が著されている。三位房を日進と別人とする理由には日進の直筆から文永8年(1271年)生まれとする説などが挙げられる。また三位房は「御書略注」から弘安2年(1279年)に亡くなった日行と同一人物とされるが、これは「四菩薩造立鈔」から発想したもので推論だとの指摘がある。
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