万国博覧会での事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:31 UTC 版)
「ダイマクション・カー」の記事における「万国博覧会での事故」の解説
1号車は、1933年のシカゴ万国博覧会の第一期に出品された際、デモ走行中にシカゴ・サウスパークのコミッショナーが運転する車に追突されて横転、酷い損傷を受けた。追突した車は事故直後に現場から逃走し、この事故によりダイマクション・カーを運転していたカーレーサーのフランシス・T・ターナー(Francis T. Turner)は死亡、2名の同乗者が重傷を負った。負傷したのは、フランス空軍省のシャルル・ドルフュス(Charles Dollfus)、航空の先駆者であり日本のスパイであったウィリアム・フォーブス=センピルであった。運転者はシートベルトを着用していたがこの試作車のキャンバス製の屋根は衝突の衝撃から守るような十分な強度は有していなかった。検死官の調査により、事故の原因はダイマクション・カーを詳しく調査しようと接近したコミッショナーの運転ミスであり、ダイマクション・カーの構造や操作性によるものではないと特定され、バックミンスター・フラーは事故原因は後ろから接近してきた別の車の挙動によるものであると発表した。しかし報道機関は追突された事実を伏せて、事故はダイマクション・カーの型破りな構成に起因したように書き立てた。この事故は投資家にこの計画への投資を諦めさせた。 1988年の書籍『The Age of Heretics』で著者のアート・クライナー (Art Kleiner) は、クライスラー社がこの車の量産を断った本当の理由は、この車が中古車や既に流通経路にのっている車の販売環境を破壊するであろうと考えた銀行家たちが融資を引き揚げると脅したからであると主張している。
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