七王国の社会制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 16:00 UTC 版)
5世紀になって帝政ローマの影響力がなくなるとアングロサクソン人がブリテン島にやってきたが、彼らは後に記されるような単独の王を持つ王国というよりは部族の連合体に近い形で、ウェセックス、ノーサンブリア、イースト・アングリアを形成してきたものと思われる。またアングロサクソン年代記に記される歴代ウェセックス王の系譜の中に統治時代が重なる複数の王が存在していることから、七王国時代の、少なくとも初期においては必ずしも王権は1人の王のもとで集約されているものではなく、複数の王たちが共有していたものだと思われている。 この時代、アングロサクソン部族の構成員は「メイズ (maegth・mœgth)」と呼ばれる7 - 9親等の父系制部族に属して暮らしていた。メイズの首長たちは各村落の家族に「ハイド (hide)」と呼ばれる分配地を与えていた。そして部族が戦争、開拓で新たな土地を得られたときにはメイズ単位で移動し、また別部族との抗争もメイズ単位での行動となった。各部族の構成員は自由人であれば基本的に平等で、このメイズによって保護された。もし抗争で犠牲者が出た場合、相手に復讐するか相手側から「人命金 (wergeld)」でもって購われた。しかしこの人命金は上位の自由人(貴族)、自由人、奴隷との間で差異があった。 しかし貧富の差が時代を下るうちに広がり、各構成員が首長のもとで平等であったメイズの体制がほころびを見せ始め、代わりに貴族が自由人の保護の保障をする保証人制度と呼ばれる制度が確立していった。しかしこの制度は同時に自由人はメイズの保護下から特定貴族の支配に受けることを意味しており、上位の階層の庇護を必要とする下層自由民は次第にその地位を隷属民のそれへと降格、後の農奴身分の形成へとつながった。これは一種の封建制であり、後のデーン人の支配ではさらにこの傾向を強めていく。
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