ヴォルフ, エドゥアール
ピアニスト兼作曲家として活躍したショパンと同時代のポーランド人の殆どは、ショパンの影にすっぽりと覆われ、今日顧みられることがない。ウクライナ出身で、パリで活躍したA. ソヴィンスキ(1805~1880)、サンクトペテルブルクで教鞭をとったA. ゲルケ(1814~1870)、Ed. ヴォルフ(1816~1880)、日本を訪れたこともある当時の世界的ツアー・ピアニストA. de コンツキ(1817~1899)――。中でもヴォルフは経歴、作風がショパンと類似していることから、作曲家としては生前より影のように寄り添うショパンのドゥーブルとして見られる向きがあった。それ故か、ヴォルフは没後も正当な評価を受けることなく、作品番号にして330を超える作品ともども忘却の淵に沈んだ。 エドゥアール・ヴォルフは1816年9月15日、ワルシャワでユダヤ人の家庭に生まれた。父は優れた医師で、兄は父の職業を継いだ。
ショパンと同じようにポーランド出身でワルシャワでヨゼフ・エルスナー、ヴィーシでウェンツェル・ヴェルフェルに学び、パリへ移住したピアニスト・コンポーザーにエドゥアール・ヴォルフがいる。彼の姉、レジーナは名ヴァイオリニスト、ヘンリーク・ヴィエニヤフスキー(1835-1880)の母である。ヴォルフはショパンの側近の一人であり、相互の影響感化は大きいがそれ以上に同じ出自と経歴ゆえの共通性があり、ショパンとは光の影の関係になぞらえよう。1835年パリ移住。ヴォルフは後年シャブリエのピアノの師となるが時折見せる唐突な転調・展開はシャブリエを予見させるものがある。Op.番号にして333を数えるピアノ曲があり、その他Op.なしの作品も多い。
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