ヴァロワ家時代のブルゴーニュ公
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「ブルゴーニュ公国」の記事における「ヴァロワ家時代のブルゴーニュ公」の解説
他の時代のブルゴーニュ公についてはブルゴーニュ公一覧を参照。 フィリップ豪胆公 (大胆公・豪勇公とも、仏:Philippe le Hardi(フィリップ・ル・アルディ) 1342年 - 1404年、在位:1363年 - 1404年) ヴァロワ朝のフランス王ジャン2世(善良王)の四男で、シャルル5世の弟。1363年にブルゴーニュ公に封ぜられた。1384年にフランドル女伯及びブルゴーニュ女伯マルグリットと結婚したことで、一大勢力となる。 ジャン無怖公 (無畏公とも、仏:Jean sans peur(ジャン・サン・プール) 1371年 - 1419年、在位:1404年 - 1419年) 狂王シャルル6世の摂政権を巡ってオルレアン公ルイと対立した結果、ルイを暗殺してパリを支配したが、自らも王太子シャルル(シャルル7世)に暗殺された。以後、ブルゴーニュ派はイングランド王国と同盟してシャルルおよびアルマニャック(オルレアン)派と戦い、百年戦争は新たな局面を迎えた。 フィリップ善良公 (仏:Philippe le Bon(フィリップ・ル・ボン) 1396年 - 1467年、在位:1419年 - 1467年) 安定した統治を行い、所領を拡大した。金羊毛騎士団を創設し、騎士道文化が最盛期を迎えた。ファン・エイク兄弟などのフランドル派絵画や、ブルゴーニュ楽派の音楽はヨーロッパで最高水準のものとなった(北方ルネサンス)。百年戦争では引き続きイングランド側につき、1430年にはジャンヌ・ダルクを捕らえ、イングランド軍に引き渡した。 シャルル突進公 (勇胆公、無鉄砲公、猪突公とも、仏:Charles le Téméraire(シャルル・ル・テメレール) 1433年 - 1477年、在位:1467年 - 1477年) 領土拡大を夢見て、無謀なブルゴーニュ戦争を行った。一人娘マリーとハプスブルク家のマクシミリアンの結婚を承諾したのち、ナンシーの戦いで戦死した。
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