ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」とは? わかりやすく解説

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ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:52 UTC 版)

ウォーターゲート事件」の記事における「ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」」の解説

ワシントン・ポストは、事件発生した1972年6月17日朝からボブ・ウッドワード記者カール・バーンスタイン記者とが共に独自の調査始め事件に関する様々な事実紙面発表した内容多くは、FBI及び他の政府調査官には既知のものではあったが、ウォーターゲート事件対す世間注目を集めることとなり、ニクソン大統領やその側近窮地追い込む結果となった最初に1972年6月20日付け紙面で侵入犯の内、2人の手帳からチャールズ・コルソン(ホワイトハウス顧問)の名前が見つかり、他にハワード・ハントの名前と自宅電話番号、そして「House.WH」と書き込まれていた、とスクープした。そして8月1日紙面侵入犯の1人バーナード・バーカーフロリダ銀行口座ニクソン再選委員会中西部地区責任者ケネス・ダールバーグの預金小切手から25,000ドル振り込まれていた、と報じたこの頃から2人ウォーターゲート事件専門的に担当することとなった。そして「ニクソン再選委の秘密選挙資金30ドル上る」(9月17日)、「ミッチェル前司長官在職中から秘密資金管理していた」(9月29日)、「ウォーターゲート事件共和党選挙妨害1つ過ぎず秘密資金3570ドルにのぼる」「大統領補佐官民主党妨害工作関与FBI捜査明らかに」(10月10日)、「秘密資金支出管理するメンバーにハルデマン補佐官が」(10月25日)、などスクープ出しホワイトハウスとの関係は悪化一途辿った。しかし事件発生から半年間は大方の見方としてコソ泥の真似政府高官がするはずはない、下っ端とんでもないことをしたが、中枢部には関係ないことである、という見方強く11月大統領選挙にはさして影響はなく、ニクソン圧勝終わった総じてメディアウォーターゲート事件には無関心であり、この時期記事にしたのはほとんどワシントン・ポストのみであった世間耳目が集まるようになったのは、マッコードの爆弾発言出た1973年3月以降のことである。 この一連のスクープ記事は、ある内部情報に詳しい者からの示唆に基づくものであったウッドワードによって「ディープ・スロート」と名づけられた内部情報提供者素性は、ウォーターゲート事件におけるミステリーとされていた。

※この「ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」」の解説は、「ウォーターゲート事件」の解説の一部です。
「ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」」を含む「ウォーターゲート事件」の記事については、「ウォーターゲート事件」の概要を参照ください。

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