ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」
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「ウォーターゲート事件」の記事における「ワシントン・ポストと「ディープ・スロート」」の解説
ワシントン・ポストは、事件が発生した1972年6月17日朝からボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者とが共に独自の調査を始め、事件に関する様々な事実を紙面に発表した。内容の多くは、FBI及び他の政府調査官には既知のものではあったが、ウォーターゲート事件に対する世間の注目を集めることとなり、ニクソン大統領やその側近を窮地に追い込む結果となった。 最初に1972年6月20日付け紙面で侵入犯の内、2人の手帳からチャールズ・コルソン(ホワイトハウス顧問)の名前が見つかり、他にハワード・ハントの名前と自宅の電話番号、そして「House.WH」と書き込まれていた、とスクープした。そして8月1日の紙面で侵入犯の1人バーナード・バーカーのフロリダの銀行口座にニクソン再選委員会中西部地区責任者ケネス・ダールバーグの預金小切手から25,000ドルが振り込まれていた、と報じた。この頃から2人はウォーターゲート事件を専門的に担当することとなった。そして「ニクソン再選委の秘密選挙資金が30万ドルに上る」(9月17日)、「ミッチェル前司法長官は在職中から秘密資金を管理していた」(9月29日)、「ウォーターゲート事件は共和党の選挙妨害の1つに過ぎず、秘密資金は35〜70万ドルにのぼる」「大統領補佐官が民主党妨害工作に関与、FBI捜査で明らかに」(10月10日)、「秘密資金の支出を管理するメンバーにハルデマン補佐官が」(10月25日)、などスクープを出し、ホワイトハウスとの関係は悪化の一途を辿った。しかし事件発生から半年間は大方の見方としてコソ泥の真似を政府高官がするはずはない、下っ端がとんでもないことをしたが、中枢部には関係ないことである、という見方が強く、11月の大統領選挙にはさして影響はなく、ニクソンの圧勝に終わった。総じてメディアはウォーターゲート事件には無関心であり、この時期に記事にしたのはほとんどワシントン・ポストのみであった。世間の耳目が集まるようになったのは、マッコードの爆弾発言が出た1973年3月以降のことである。 この一連のスクープ記事は、ある内部情報に詳しい者からの示唆に基づくものであった。ウッドワードによって「ディープ・スロート」と名づけられた内部情報提供者の素性は、ウォーターゲート事件におけるミステリーとされていた。
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