ロンドン市からの脱出
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「ロンドンの大疫病」の記事における「ロンドン市からの脱出」の解説
1665年7月になると、疫病はロンドン市内でも流行し始めた。国王チャールズ2世とその家族や宮廷を含む富裕層は逃げ出した。ソールズベリーに逃げ出し、そこでも数例の疫病が報告されると、9月にオックスフォードへと移動した。 参事会員と大多数の市政府の人間は市内に残留することを決断した。ロンドン市長ジョン・ローレンス卿もまた市内に残留した。店は閉鎖され、商人や職人もまた市外へと逃亡した。 デフォーは、「荷物、女性、召使い、子供で満たされた荷車や馬車、立派な服を付けた人でいっぱいの馬車、その御者が急ぎロンドンから去ろうとする以外、何も見えなかった」と書いている。 疫病は夏の間中流行し、さらに増加しつつある膨大な犠牲者に対応するためにほんの少数の牧師、医師、薬剤師だけがロンドン市に残った。「ロンドンにおける恐るべき疫病の襲来」を著したエドワード・コーツは、「今後は、私たちを見捨てる医師がこれほど多く出ることのないといいのだが。」との希望を述べている。 より貧しい人々も疫病の伝染に気づき、一部は市を去ったが、市外に脱出した場合の生活に見通しがないことから、居宅を放棄することは容易ではなかった。市の城門を出る前には市長が発行する健康証明書を保有する必要があったが、その入手は次第に困難となった。 時がたつにつれ疫病の犠牲者はさらに増加し、ロンドン市外の町村は健康証明書があろうとなかろうとロンドンの住民を受け入れることはなくなり、避難民を送り返すようになった。避難民たちは引き返したが、町を通り抜けることは許されず、野原を横切ることを強いられ、路上で寝泊まりし、盗みや残飯あさりに頼らざるを得なくなった。1665年の暑い夏のため、多くは飢餓や脱水等の悲惨な状況に陥り死亡した。
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