ロマン『菜穂子』成立
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1941年(昭和16年)1月、初のロマン(長編小説)となる「菜穂子」(「物語の女」の続編)を『中央公論』に発表。既婚女性の家庭の中での自立を描く作品にも才能を発揮し、「物語の女」の続編の構想は7年ぶりに結実した。長編『菜穂子』は第1回中央公論社文芸賞を受賞した。登場人物「都築明」のモデルは立原道造も重ねられている。10月に大和へ旅行。古寺を見て廻り、天平時代の小説の構想を練るが成功せず、「曠野」の構想を得て帰京し、12月に再訪。倉敷の大原美術館へも行き、グレコの『受胎告知』を見て、月末に「曠野」を『改造』に発表する。1942年(昭和17年)8月に随筆「花を持てる女」を『文学界』に発表。 『菜穂子』の前編でもある「楡の家」(元「物語の女」)、『かげろふの日記』、『ほととぎす』、『曠野』などの王朝女流風小説は、リルケの「恋する女たちの永遠の姿」を追究したものと、折口学の深い影響が読み取れる。
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