ロケットボーイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 13:03 UTC 版)
ロケットボーイズ (英: rocket boys)
- プロ野球チーム・東京ヤクルトスワローズの2人のリリーフ投手、五十嵐亮太と石井弘寿のコンビに付けられた愛称。
- ロケットボーイズ (小説) (Rocket Boys) - 元NASAエンジニアのホーマー・ヒッカム・ジュニアによる自伝小説。映画化(October Sky, 邦題『遠い空の向こうに』)もされた。
- ロケットボーイズ - 五十嵐貴久の小説『2005年のロケットボーイズ』が、2006年にテレビ東京系でテレビドラマ化されたときのタイトル。
- ロケットボーイズ(the Rocket Boyz) - KG(Vo.)、クラモチトシノリ(Vo.)、cacao.(Ba.Gt.)、もんきち(Dr.)からなる4人組バンド。「誰も一人ぼっちにしない、笑って泣ける青春パーティーバンド」[1]
関連項目
- ^ “ロケットボーイズ lit.link”. lit.link(リットリンク). 2025年7月31日閲覧。
ロケットボーイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:07 UTC 版)
「東京ヤクルトスワローズ」の記事における「ロケットボーイズ」の解説
2人のリリーフ投手五十嵐亮太と石井弘寿のコンビ。五十嵐は日本人右投手最速の158km/hの直球を、石井は日本人左投手最速の155km/hの直球をそれぞれ持った球界最速のリリーフコンビとしてその名をとどろかせた。「ロケットボーイズ」という愛称自体は、2002年5月にファンの公募で決められたものである。 もともとリリーフエースの高津臣吾へつなぐセットアッパーとしての役割を果たしていたが、高津がFAでシカゴ・ホワイトソックスに移籍したことで2004年から五十嵐がストッパーとなる。五十嵐は抑えの守護神として2004年度、リーグ最多の66試合に登板して球団新記録となる42セーブポイントを挙げ、最優秀救援のタイトルを獲得した。一方の石井は2004年度、故障とアテネオリンピック出場でチームを離れることが多かったが、後半戦での登板機会は多く、中継ぎエースとして活躍した。 しかし、2009年に五十嵐がFAで大リーグのニューヨーク・メッツに移籍したことに伴い、ロケットボーイズはコンビ解消となった。2011年に石井が現役を引退し、二軍コーチに就任。 2018年、五十嵐が日本球界復帰後に在籍をしていたソフトバンクから戦力外通告を受けたことで、2019年春にヤクルト復帰が決まった。当時石井は一軍投手コーチであったため、選手とコーチの関係ではあるが、ロケットボーイズは10年ぶりに復活を果たした。翌2020年をもって五十嵐が現役を引退したことで、再びコンビ解消となった。
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