ロイド・ジョージによる栄典濫用
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「1925年栄典濫用防止法」の記事における「ロイド・ジョージによる栄典濫用」の解説
本法の制定経緯はデビッド・ロイド・ジョージ政権下に生じた叙爵問題を発端とするもので、彼はその首相在任中に94件の新規叙爵、1500件のナイト爵授与を行っている。この行動は元来の慣行や基準を無視したものではあったものの、処罰法を欠くことから合法であり、ロイド・ジョージ内閣以前も栄典授与件数は増加傾向にあった。 しかしながら、ロイド・ジョージ率いる自由党政府は栄典の乱発に留まらず、斡旋人モーンディ・グレゴリー(英語版)を仲介者として政治資金に等しい謝礼を得ており、ナイト爵は10,000ポンド、男爵叙爵ならば30,000ポンド、それ以上の爵位については50,000ポンドを一人当たりに要求していた。こうして得られた謝礼は第一次世界大戦後の不況にあえぐ英国において自由党の政治資金へと流用された。栄典濫用ともいえる一連の行為は貴族院においても強く非難がなされたほか、ロイド・ジョージ自身も1922年半ばに政治的支持を急速に失ってゆき、総辞職に追い込まれている。 なお、ロイド・ジョージとともに栄典授与の便宜を図り、斡旋人の役割を果たしたとされるモーンディ・グレゴリーは1933年に本法違反の疑いで逮捕、収監を経て罰金刑に処されているが、本法によって処罰された者は現在に至るまでグレゴリーのみである。
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