レストラン西武へ出向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:27 UTC 版)
1983年、経営不振に陥っていたレストラン西武(現:コンパスグループ・ジャパン)社長への出向辞令が発せられ、この人事を左遷と捉えショックを受けた和田は堤に辞表を出す結論に至ったものの、周囲の人々に諫められて冷静さを取り戻し辞令を甘受することとした。なお堤は和田の人事に対する左遷との見方を否定している。 同年6月、レストラン西武社長に着任する。当時の同社は40に及ぶ業態を抱え、また和田が社長に就任するまでの20年間に、社長が11人も交代しその度に経営方針も変わるため、社内は閉塞感に覆われ、社員の士気低下は著しいものがあった。そうした中で和田は着任早々社員全員を集め「俺はこの会社、社員と、運命をともにする。ここに骨を埋めるつもりでやってきた。またどうせ、すぐ代わるだろうなどと思っていたら大間違いだからな」と言い放ち、経営改革に着手した。和田はことあるごとに社員を集め自らの方針を説き、さらに直接役員や社員にも手紙を書いたほか、社内報でも自説を唱え意識改革を求め続けた。そして日本リテイリングセンター社長で、日本におけるチェーンストア理論の第一人者とされていた渥美俊一の下に社員をトレーニーとして派遣し、チェーンオペレーションとチェーンマネジメントを学ばせた。さらに中期経営計画で掲げた多様な業態を開発しチェーン展開する方針に基づき、ファミリーレストラン「CASA」や新コンセプトのダイニングバー「オールドニュー」などの出店を開始。10年ほどにチェーン全体で店舗総数は1,000店を超え、1989年には社名を西洋フードシステムズに改めた。
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