レイフの冬季宿営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 08:52 UTC 版)
「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「レイフの冬季宿営」の解説
ビャルニが説明した経路、目印、潮流、岩礁および風を頼りとし、レイフは、ビャルニが使ったのと同じクナール船に35人の乗組員を乗せ、新世界に向けて1,800マイル (2,880 km) を航海した。レイフはヘッルランドを「平坦で森があり、何処まで行っても広く白い浜があり、海岸線はなだらかに傾斜している」と表現した。レイフとその仲間は、父のエイリークがこの遠征隊を率いることを望み、エイリークにそう伝えた。しかし、エイリークが息子の航海に加わる際、海岸近くの濡れた岩に乗っていた馬が足を滑らせた。彼は落馬し、怪我をしたために後に残った。 1001年、レイフはおそらくニューファンドランド島の北端にあるケープ・ボールド近くで冬を過ごしており、ここでのある日、彼の育ての親でドイツ人であるティルカーが酒に酔っているのを見付けている。このことについてサガでは、この地域で自生している「ワインベリー」、スカッシュベリー、グーズベリーおよびクランベリーのことを記述している。発酵したベリーをレイフがワインと表現したかについては諸説ある。 さらに「古ノルド語」では、「ヴィン」という言葉の「ィ」の音が短音か長音であるかによって意味が異なる。長音の場合はワインを意味し、短音の場合は牧草地あるいは草地を意味する。このことについて議論が続いているが、最近の言語学的研究では、ヴィンランドが牧草地や草地を意味するという説が有力になっている。 レイフは「レイフスボダルナ」で穏やかにもう一冬を過ごし、その後、父に対する子としての義務を果たすために、グリーンランドのブラッターフリーズに戻った。
※この「レイフの冬季宿営」の解説は、「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」の解説の一部です。
「レイフの冬季宿営」を含む「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」の記事については、「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」の概要を参照ください。
- レイフの冬季宿営のページへのリンク