ル・マン24時間レースとセブリング12時間レース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:43 UTC 版)
「フランク・ビエラ」の記事における「ル・マン24時間レースとセブリング12時間レース」の解説
1999年、ビエラはツーリングカーレースに参戦せず、 アウディ・R8スポーツカープロジェクトに参加し、アウディ・スポーツ・チーム・ヨーストの名前でレースに参戦した。 ここでも好成績を残し、ビエラは今後数シーズンにわたってスポーツカーレースで活躍していく。R8でいくつかのクラシックイベントと3つのアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)で優勝。 R8チームでル・マン24時間レースにも1999年から参戦を開始し、エマニュエル・ピロ、ディディエ・セイスとアウディ・R8Rで総合3位を獲得。2000年から2002年までは、ピロとトム・クリステンセンとコンビを組み、3年間連続で総合優勝を成し遂げた。その後も継続参戦し、2006年と2007年にもル・マンを制した。その一方でアウディは2002年シーズン以降、R8プログラムのサポートを縮小し始めた。 2003年にALMSで優勝した後、ビエラはドイツツーリングカ選手権に戻り、ヨースト・レーシング(ビエラがル・マンで3度優勝したR8を走らせたチーム)のアウディをドライブしたがツーリングカーでは以前のような好成績を残すことは出来なかった。 ル・マンにおいて5度の優勝を経験したビエラだが、毎年順風満帆だった訳ではなく、2003年はわずか15周後にピットインを逃し、燃料を使い果たした。この年以外はいずれも完走を果たしているが、2004年と2005年にそれぞれ5位と3位に終わる。 そういった経緯もあってか2005年12月、R8の後継車である新しいアウディ・R10の最初の走行に参加。 この努力の甲斐が実り、2006年のル・マン24時間レースで 満を持してR10(チーム・ヨースト)を投入し、ピロと新しいチームメイトのマルコ・ヴェルナーとこのクラシックレースで4度目の勝利を挙げる事に成功し、 2007年も同じ車とチームで勝利。5度目の優勝を成し遂げた。
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