リーニエンヴァルの撤去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/22 19:14 UTC 版)
「リーニエンヴァル」の記事における「リーニエンヴァルの撤去」の解説
1846年、ベルヴェデーレ・リーニエの外側にウィーン南駅とウィーン東駅が、1858年、マリアヒルファー・リーニエ沿いにウィーン西駅が、それぞれ開業した。1856年、帝王室兵器庫(k.k. Arsenal)もリーニエンヴァルの外側に設営された。このように、リーニエンヴァルの軍事的な意味合いはかなり以前から希薄になっていた。 1862年からリーニエンヴァルのすぐ外側沿いに道路を建設する計画が持ち上がり、1873年、ギュルテル大通り(Gürtelstraße)が開通した。このとき、1850年にウィーン市に編入されていた4区(ヴィーデン)と5区(マルガレーテン)から、リーニエンヴァルの外側の区域を切り取って合併する形で10区(ファヴォリーテン)が新設された。そして、1890年12月18日、リーニエンヴァルの外側に位置するフォアオルト郊外村に対してもウィーン市への編入が決定された。1892年1月1日をもって各地の郊外村が編入されると同時に、1829年以来の税制区分も意味を失い、ここに、ウィーン市を中世以来、長い年月に渡って囲んでいた市壁・要塞設備の撤去作業における最後の障壁が取り除かれるに至った。1894年3月にリーニエンヴァルの撤去工事が始まり、ギュルテル大通りの拡張工事が実施され、1895年にはウィーン都市鉄道(Wiener Stadtbahn)の敷設工事も始まった。大幅に拡幅された2本のギュルテル大通りに挟まれる形でその中央部に線路を通し、1898年に営業運転を開始した。
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