リーニエンカペレ(リーニエ礼拝堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/22 19:14 UTC 版)
「リーニエンヴァル」の記事における「リーニエンカペレ(リーニエ礼拝堂)」の解説
1740年から1760年にかけて、門の場所には18の礼拝堂が設置された。全てネポムクの聖ヨハネ(聖ネポムク)(橋の守護聖人)に捧げられた礼拝堂だったことから、現在のウィーン市内には聖ネポムクの像が数多く残されている。民衆の間では礼拝堂のことを俗に「道中のハンスル」(Hansl am Weg、ハンスルはヨハネのこと)と呼んでいた。町に出入りする全ての旅人、税制境界(1850年から1891年まではウィーン市の境界でもあった)のリーニエ庁に勤務する役人がここで祈りを捧げ、ミサに出席することができた。 当時の位置に当時の姿で現存しているのはフンツトゥルム礼拝堂(Hundsturmer Kapelle)(別称、シェーンブルン礼拝堂
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