リードによる救援の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)
ジェイムス・F・リードはシエラネバダを越えて10月遅くにジョンソン集落(en)に辿り着いた。その後、サッター砦で休養したが、日に日に家族と友人が心配になり、ジョン・C・フレモント大佐に峠越えの救助隊を出すよう懇願して、代償として米墨戦争にフレモントの部下として従軍すると申し出た。スタントンに同行できなかったマクカッチェンがリードに同調し、ハーラン=ヤング隊からも一部が加わった。ハーラン=ヤングの幌馬車隊は10月8日にサッター砦に到着したが、これは同年シエラネバダ越えに成功した最後の移民団だった。約30頭の馬と12人の男が食料を運んで出発し、山脈西側で、エミグラント山峡(en)に続く急峻な山道の下を流れるベア川沿いに、飢えているであろうドナー隊を捜索した。しかし一行が峡谷で見つけたのは、別の移民団からはぐれて飢えかけた開拓者の夫婦だけだった。 案内人2名が馬数頭とともに引き返したが、リードとマクカッチェンは峡谷をさらに登って最後は徒歩でユーバ・ボトムスに進んだ。リードとマクカッチェンはエミグラント山峡で峠から12マイル(19キロ)の地点で雪に阻まれて上を眺めたが、これはおそらくブリーン家が峠を東側から越えようと最後に試みた同じ日のことである。彼らは落胆してサッター砦に引き上げた。
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