リージョナルジェット化と9.11事件の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:09 UTC 版)
「スー・ゲートウェイ空港」の記事における「リージョナルジェット化と9.11事件の影響」の解説
1999年の時点で、スー・ゲートウェイ空港にはノースウエスト航空とトランス・ワールド・エクスプレス(英語版)が就航していた。2001年から2002年の間に、トランス・ワールド・エクスプレスはシャトーカ航空(英語版)、そしてアメリカン・コネクションへとブランド名を変えた。 このころスー・ゲートウェイ空港への旅客便はサーブ340などのプロペラ機が用いられてきたが、2001年入ると、航空会社は相次いでリージョナルジェットへ転換する動きを見せた。2001年8月には、リージョナルジェットに接続できるボーディング・ブリッジがターミナルビルに増設された。 ところが、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生した。テロ発生直後、アメリカ連邦航空局は航空機の飛行を全面禁止し、アメリカ国内の1万9千もの空港が閉鎖された。スー・ゲートウェイ空港も閉鎖され、全ての飛行が停止された。 事件から2日後、一部の航空会社の運航が再開された。スー・ゲートウェイ空港の旅客営業も9月14日に再開したが、旅客便の運航スケジュールが不透明だったため空港は閑散としていた。この事件以降、スー・ゲートウェイ空港の旅客数は減少した。 旅客機を乗っ取り乗客乗員を巻き込んで自爆テロを起こすという事件に航空輸送需要が急落した。座席供給を減らすため航空会社は運航機材を小型機に変更したことで、リージョナル機の運航比率が高くなった。しかし、テロ事件以前よりアメリカのパイロット協会と航空会社は、リージョナル機と大型機との比率を決まった範囲内に制限する協定を結んでいた。制限比率を維持するためのあおりを受ける形で、アメリカン・コネクションは、リージョナル機で運航していたスーシティ路線の廃止を決めた。2002年3月、アメリカン・コネクションはスー・ゲートウェイ空港から撤退した。 スー・ゲートウェイ空港にはかつて4社が路線開設していた時代もあったが、同空港へ就航している航空会社はノースウエスト航空のみとなった。スー・ゲートウェイ空港の代わりに、約140キロメートル南にあるオマハのエプリー・エアフィールドを利用する人が増加したという声もあった。 2002年5月25日、スーシティ出身のアメリカ空軍大佐、ジョージ・エバレット・バド・デイ(英語版)を讃えて「カーネル・バド・デイ・フィールド」の名称がつけられた。バド・デイことジョージ・エバレット・バド・デイは、ベトナム戦争に従軍した第185戦術戦闘群のパイロットで、名誉勲章と空軍十字章を共に受章した唯一の人物である。同年にはバド・デイの銅像がターミナルのそばに建てられた。
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