リーグの特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 07:21 UTC 版)
「アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)」の記事における「リーグの特徴」の解説
9年間の歴史でABAに所属していたチームは延べ28あったが(移転・改名したものも数える)、短期間で消滅したチームも多く、1シーズンあたり8から10程度のチームが参加していた。最後のシーズンを除きリーグは二つのディビジョンに分けられ、それぞれ5から6程度のチームが所属していた。リーグ設立から2年間は1チームのレギュラーシーズン試合数は78で、以降は84試合を行った(NBAは82試合)。 レギュラーシーズン中の成績がそれぞれのディビジョンで4位以内に入ったチームにプレイオフ進出が認められた。順位が同じチームがあった場合、順位決定のためもう1試合が行われた。プレイオフは4試合を先勝したチームが次のラウンドに進出できるトーナメント方式で、最終の決勝ラウンドで4戦したチームが優勝した。ただし、初期のプレイオフ1回戦は3戦先勝したチームが勝ち抜きで、7チームしか残っていなかった最後のシーズンは4位と5位のチームが2戦先勝のシリーズを行い、残った4つのチームが4戦先勝のトーナメントを行った。 ABAはルールの面でもNBAとの差別化を図ろうとした。その一つはスリーポイントシュートだった。シュートの制限時間であるショットクロックは、NBAの24秒より長い30秒に定めた。最後のシーズンには、ファウルアウトをなくし、6つのファウルを犯した選手も試合に残ることができた(ただし相手チームにフリースロー2本とボールの保有権が与えられた)。 もう一つABAが行った試みは、赤・白・青の三色からなるカラーボールの導入だった。これを考案したコミッショナーのジョージ・マイカンは、国旗と同じ三色を用いることが愛国的であるとの理由を挙げたが、試合中に目立ち見栄えがするという効果もあった。三色のボールはABAの象徴のような存在になった。 競技に直接関係がない点では、ABAでプレイした黒人選手は、当時の流行を反映してアフロの髪型をしている者が多かった。選手の大きなアフロヘアも一種ABAのトレードマークのような存在だった。 ABAがオールスター戦で採用したダンクコンテストも画期的な試みの一つだった。とりわけ、最後のオールスター戦となった1976年のダンクコンテストで、ジュリアス・アービングはフリースローラインから跳んでダンクシュートを成功させ、観客を興奮させた。
※この「リーグの特徴」の解説は、「アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)」の解説の一部です。
「リーグの特徴」を含む「アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)」の記事については、「アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)」の概要を参照ください。
- リーグの特徴のページへのリンク