リーによる挑戦(1947年 - 1948年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「リーによる挑戦(1947年 - 1948年)」の解説
1947年、リーは同車をアメリカへと運び、ダイムラー・ベンツにも技術的な意見を聞きながらレストアを行った。燃料は本来のシェルに代えてモービル、タイヤはコンチネンタルに代えてファイアストンからの供給を受け、1947年のインディ500(英語版)参戦の準備を整えた。かつてヨーロッパのレースを席巻したW154の名は轟いていたことから、ドライバー志願者はリーの元に殺到し、リーはその中からデューク・ナロン(英語版)に白羽の矢を立てた。 レースは6番手からのスタートだったが、スタート直後にトップギアの5速に入れる前には前の車を全て抜き去り、首位を奪った。しかし、200周のレースの118周目でエンジントラブルによりリタイアとなる。翌年もチェット・ミラー(英語版)の運転で再びインディ500(英語版)に挑んだが、またもトラブルによってリタイアに終わった。 2年連続のトラブルにより、たとえW154といえども、ダイムラー・ベンツの技術陣やメカニックたちのバックアップがなければレースに勝つことは出来ないということをリーは悟り、インディ500への挑戦を諦めた。リーはW154からエンジンを降ろし、車体は1948年末にジョエル・ソーン(英語版)という人物に売却した。
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