ラーンサーン王朝
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ラーンサーン王朝(ラーンサーンおうちょう、英語:Lanexang Kingdom)は、メコン川中流域に14世紀から18世紀にかけて展開した歴史上の王朝。シップソーンパーンナー、ラーンナー等と並ぶ、山地タイ人による「ムアン(国家)」の一つであり、ラーオ族古来の政治制度と上座部仏教を統合した王権思想により統治されていた。世界遺産となっている「ルアンパバーンの町」などでは、この王国で隆盛した仏教文化に触れることができる。
- 1 ラーンサーン王朝とは
- 2 ラーンサーン王朝の概要
ラーンサーン王国
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ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国(南詔)の支配領域が南下し、この地に定住者が現れた時代に始まる。王国滅亡後の1353年に、ラーオ族による統一王朝ランサン王国がファー・グム王(英語版)により建国。1551年に即位したセタティラート王の時代には、首都をヴィエンチャンに移し、その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ。ラーンサーンとは「100万のゾウ」という意味である。昔、ゾウは戦争の際に戦車のように戦象として使われていたので、この国名は国の強大さを示し、近隣諸国を警戒させた。 17世紀には西欧との交易も開始し、ヴィエンチャンは東南アジアでも有数の繁栄を誇った。しかし18世紀にはヴィエンチャン王国、ルアンパバーン王国、チャンパーサック王国の3国に分裂。それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続いた。
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