ラーンサーン王国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ラーンサーン王国の意味・解説 

ラーンサーン王朝

(ラーンサーン王国 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/14 16:09 UTC 版)

ラーンサーン王朝(ラーンサーンおうちょう、英語:Lanexang Kingdom)は、メコン川中流域に14世紀から18世紀にかけて展開した歴史上の王朝シップソーンパーンナーラーンナー等と並ぶ、山地タイ人による「ムアン(国家)」の一つであり、ラーオ族古来の政治制度と上座部仏教を統合した王権思想により統治されていた。世界遺産となっている「ルアンパバーンの町」などでは、この王国で隆盛した仏教文化に触れることができる。




「ラーンサーン王朝」の続きの解説一覧

ラーンサーン王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:55 UTC 版)

ラオス」の記事における「ラーンサーン王国」の解説

ラオスの歴史は、中国南西部現在の雲南省中心にあったナンチャオ王国南詔)の支配領域南下し、この地に定住者現れ時代に始まる。王国滅亡後1353年に、ラーオ族による統一王朝ランサン王国がファー・グム王(英語版)により建国1551年即位したセタティラート王の時代には、首都ヴィエンチャン移し、その勢力現在のタイ北東部カンボジア北部にまで及んだラーンサーンとは「100万ゾウ」という意味である。昔、ゾウ戦争の際に戦車のように戦象として使われていたので、この国名は国の強大さを示し近隣諸国警戒させた。 17世紀には西欧との交易開始しヴィエンチャン東南アジアでも有数繁栄誇った。しかし18世紀にはヴィエンチャン王国ルアンパバーン王国チャンパーサック王国の3国に分裂それぞれタイカンボジア影響下に置かれ両国争い巻き込まれる形で戦乱続いた

※この「ラーンサーン王国」の解説は、「ラオス」の解説の一部です。
「ラーンサーン王国」を含む「ラオス」の記事については、「ラオス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ラーンサーン王国」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラーンサーン王国」の関連用語

ラーンサーン王国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラーンサーン王国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラーンサーン王朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのラオス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS